#223 AIという皮肉な希望について。
Web制作が「数字」に支配された20年を経て。
今、AIという皮肉な希望について。
新年早々、友人のエンジニアから一通のメールが届きました。 新年の挨拶に添えられた、彼なりの業界展望のようなものでしたが、その一文に目が止まりました。
「企画や構成力が今まで以上に重要で、さらにAI向けにも構造化した情報を提供する。 これは、これまでのサイト制作とは完全に新しい流れに変わってきている感があります」
この言葉を見たとき、胸の奥で20数年間くすぶっていた「澱(おり)」のようなものが、スッと晴れていく感覚(ちょっと大袈裟ですけど)がありました。
今回は、少し昔話をしながら(若い人には嫌がられるとよく言われていますが…)、私たちがこれから向かおうとしている「新しいWebサイトのあり方」について私なりに書いてみたいと思います。といっても単に昔はよかった話にはしないつもりです。
少しだけ辛抱して読んでいただければ幸いです。
Webがまだ「熱狂」だった頃
私がこの仕事を始めたWeb黎明期の頃、Webサイトを作ることは、それ自体が「自分たちは何者か」を問うクリエイティブな挑戦でした。
ステーブ・ジョブスやビル・ゲイツも、そしてこのあたし自身も多少違和感はあったにせよ、持っていたインターネットへのなんとなく明るい未来は、巨大テック企業の登場と共になんだか描いていた未来とは違う形になっています。
より強固にがんじがらめになってしまった感ありません?もっと自由に、もっとクリエイティブなものになると甘い考えだったにせよ持っていたわけです。
最初からわかっていたよとかいう人をあたしは信用しません。そういうことをまことしやかに言う人は歴史を理解していないのです。
「マーケティング」なんて言葉がこれほど幅を利かせる前の話です。 お客様と膝を突き合わせ、「この商品の魅力をどう表現するか?」「このサービスをどうわかりやすく伝えるか?」「どうすれば画面越しに熱量が伝わるか?」を、あーでもないこーでもないと社内も社外も関係なく議論する。
コピーもデザインもマスメディアが使うような著名な人や広告代理店に依頼するわけでもなく、自分たちで考えるような手探り状態でしたが、そこには確かにある種の「表現」がありました。
企業の個性が匂い立つようなサイトを作ることは、ブランディングそのものでした(ブランディングなんて言葉、当時は誰も使っていなかったと記憶しています)。
「マーケティング」に乗っ取られた20年
しかし、ある時期から風向きが変わりました。Webサイトが「広義のマーケティングツール」として定義され始めた頃からです。おそらく先の巨大テック企業の登場と軌を一にしていると思います。
誤解を恐れずに言えば、この20年間、私は「デジタルマーケティング」という言葉にいくらかの違和感を抱き続けてきました。 本来、マーケティングとは顧客を理解し価値を届ける高尚な活動のはずです。しかし、Web業界におけるそれは、いつしか「PV至上主義」や「SEOハック」、「効率化」と同義語になってしまいました。
「想いが伝わるサイト」よりも「検索順位が高いサイト」が正義とされ、「美しいデザイン」よりも「クリックされやすいボタン配置」が優先される。 Googleのアルゴリズムという「神様」の顔色を伺い、キーワードを不自然に詰め込み、中身のない記事(コタツ記事)を量産する。これが意味がなかったかというとそうではないのでしょう。実際にビジネス的な成果をあげたところはたくさんあったはずです。しかしです…。
その結果、何が起きたか。 Webサイトは画一的なグリッドデザインになり、どこを見ても同じような見た目、同じような美辞麗句が並ぶ「量産型」ばかりになりました。
だいたいどのサイトを見ても業種、業界ごとに概ね同じ。違うのはロゴとメインイメージだけです。書かれている文章まで似てきている…つまり同じサービスをみなが提供しているように見えてしまう。そうなると露出の多い方が勝ちとなってしまったわけです。
笑い話ですが、同一業種の企業が全部きっちりSEO対策をしたら、どこが一番目に表示されるのか?はっきりした答えはわかりませんが、お金を一番使ったところといって苦笑いをしたものです。差別化することはお金を使うことだったのか?…と。(資本主義の原理としてはそういうものかもしれませんね)

割を食ったのは「本物」たち
この「数字のゲーム」で一番の被害者になったのは誰か。
それは、実直なモノづくりをしている中小企業や、地域に根ざしたファミリービジネス、そして職人たちです。
さらにはお金をあまり使えないけど、優れた商品やサービスを持っていた(だろう)会社や人たち全てです。
彼らは、素晴らしい技術や伝統、語るべき物語を持っています。しかし、「毎日ブログを更新する」人的リソースもなければ、「被リンクを買う」ような予算もありません。 デジタルの海では、中身が薄くても、テクニックと資金力でハックした企業が「勝者」となり、本物たちが「敗者」として沈められていきました。
作り手であるデザイナーも疲弊しました。「スマホ対応」「SEO要件」……無数の縛りの中で、クリエイティブを発揮する余地は失われ、Webデザインは「客の好みに合わせてパーツを配置する作業」に成り下がりました。そういうキビシイ制約の中ででも、ものを作るのがプロのデザイナーの仕事だ!と言われ、「もうWebデザインはつまらない」そう嘆いて去っていった才能を、私は何人も見てきました。結局、本来の制約の中でクリエイティブを発揮できる能力を持った本当のプロたちは去り、ソツなく制約の中でそれなりに処理できる人だけが残っていったのではないでしょうか?
AIという「皮肉な希望」
そんな閉塞感の中に現れたのが、生成AIです。 「AIに仕事を奪われる」と恐れる声もありますが、私は逆に、ある種の「希望」を感じています。
もちろん、この状況を諸手を挙げて楽観視しているわけではないですよ。おそらく別の問題が発生しつつあるのです。そのことはいろんなところで論じられているかとは思います。人は楽な方に、会社では「効率的だ」と言われる方に流れます。議事録をAIに書かせてオシマイとか、顧客応対を自動化させるとか、さらに強烈に均一化、画一化する方向に向かうというような、そこには一切の「ひと」の豊穣さみたいなものがなくなっている。議事録だって、書き手の個性が出るものなのです。そこはクリエイティブな行為であったし(だいたいは面倒でしたけど)顧客のことを考えたら、やっぱりこの人が熱心だったから購入しようとかあったと思うんですよね。そんな状況になんとなくざらついた感じをもってしまうのは私が旧世代だからでしょうか?
しかし、ある種の「希望」と書いたのは、AIは「ハック」を嫌い、「意味」を求めるからです。
AI(大規模言語モデル)は、小手先のSEOテクニックよりも、「その情報が事実か(Fact)」「論理的に矛盾がないか(Logic)」を重視します。
「金をかけて薄い記事を量産する」ことの価値が暴落し、代わりに「自らの仕事の意義を、正しく深く定義している」ことの価値が、再び高まり始めたのです。
これは、これまでの物量作戦で負け続けてきた中小企業にとって、逆転のチャンスです。 「中身(コンテンツ)」さえ本物であれば、AIはその価値を正当に評価してくれる。 皮肉なことに、人間が数字のために歪めてしまったWebの世界を、機械(AI)が「本質」へと引き戻そうとしているのです。
大袈裟なことを言えば、改めて「労働」から「仕事」へという流れを少し感じたりもするのです。やはり楽観的でしょうか?

「表現」を取り戻すために
私たちが今、LLMO(AI検索最適化)や構造化データといった技術に注力している理由は、単に新しいトレンドだからではありません。 それが、「奪われたクリエイティブ」を取り戻すための鍵ではないか?と思ったからです。
私が出会ってきた中小企業の社長さんやWebの担当者たちは、なんとか自分たちの想いを伝える、伝わるようにと、自分たちが表現することは上手ではないと知りながらも(「ぽえむ」と揶揄されることもあったでしょう)一生懸命、つたないながらも言葉を駆使し、紡ごうとしてきたにもかかわらず、SEO的な不自然な日本語やキーワードを入れることを半ば強要されたわけです(こちらの方がさらに稚拙な表現であったことは誰もが知っていることです)。デザイナーと同様にWebサイトはつまらない仕事になってしまったわけですが、その「クリエイティブな表現」を取り戻せるかもしれないのです。
AIへの論理的な伝達(ロジック)は、裏側の「構造化データ」に任せればいい。 そうすれば、人間が見る表側のWebサイトは、SEOのための不自然なテキストから解放され、再び自由な「表現」や「情緒」を取り戻せるはずです。
職人のこだわりを、美しい写真と余白で表現する。
創業者の熱い想いを、SEOキーワードを気にせずエモーショナルな文章で綴る。
かつて私たちが熱狂し、興奮した、「企業の魂が宿るWebサイト」を、AIというインフラの上でもう一度作り上げることができる。 エンジニアからのメールにあった「新しい流れ」とは、きっとそういうことなのだと思います。そして初期の頃の夢であった「インターネットは平等」の理念に戻れるかもしれないのです。
はい。そういうわけで、社内でするべき仕事は増えます。原稿を書く(AI利用していいですけどね)、外部の制作会社と喧々諤々の議論をする。
デザイナーさんたちも、うかうかしてられません。自分のクリエイティビティを存分に発揮しないと務まりません。
しかし、それがビジネスを愉しく、意義あるものにする当たり前のことだと私は思うのです。
「マーケティング」という名の呪縛から、企業の「言葉」とデザイナーの「誇り」を解き放つこと。本来の「仕事」を取り戻すこと。
それが、AI時代における新しい挑戦ではないか?と踏み絵を迫られている気がしています。
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