#353 第2回:集客ツールという呪縛 〜「自慢のホームページ」はなぜ死んだのか〜

Apr 28, 2026By habitus
habitus

『詩がない(しがない)世界に、愛(AI)の言葉を』

第2回:集客ツールという呪縛
〜「自慢のホームページ」はなぜ死んだのか〜

現代のビジネスにおいて、「Webサイト=集客ツールである」という命題を疑う人はほとんどいません。それはまるで、水が低きに流れるのと同じくらい、自明の理として語られています。

しかし、この強固な常識こそが、現在多くの企業を疲弊させている構造的な病理の正体です。 この状況は、決してデジタルマーケティングを推進する者だけが作り出したものではありません。
企業自身が「測定可能な数字(PVやCV)」という神の力に魅入られ、自らその呪縛に囚われてしまった結果なのです。

社内の担当者は、ダッシュボードに並ぶ無機質な数字を少しでも上向かせるため、目的も曖昧なまま終わりのない作業に追われ、疲弊しています。
一方で、インターネットの海には、何年も更新が止まり、ホコリを被って放置されている企業サイトが無数に存在します。
一見すると単なる怠慢のように思えますが、実は違うと思うのです。 あれもまた、「集客のゲーム(数字の競争)で大企業や資本力のある競合に勝てないのなら、Webサイトを運用する意味などない」という、集客至上主義の呪縛が生み出した裏返しの姿にみえるのです。

また、少し時計の針を戻してみましょう。われわれは歴史に学ばねばなりません。
1990年代後半から2000年代前半にかけて、企業が初めてWebサイトを開設したとき、そこには確かな「誇り」がありました。 「うちの会社にも素敵なホームページができたぞ」と、経営者が嬉しそうに取引先にアドレスを伝える。そこには、自社のブランドや歴史、職人のこだわり、クリエータの腕を世に問う歓びがありました。これをバカにするなかれ…

これは単なるノスタルジーを語る昔話ではありません。 Webサイトには、単なる宣伝用のチラシではなく、「自社の美学や哲学を表現する、オンラインの本社ビル」として機能するという、もう一つの道(可能性)が確かに存在していたということです。

しかし、「集客(数字を積み上げること)」が絶対の正義になった瞬間、その誇りへの投資は「費用対効果が見えない無駄なもの」として冷酷に切り捨てられました。私たちは、「効率と数字」との引き換えに、自らの手でその可能性の扉を閉ざしてしまったのです。

私たちが選んだ「効率化」の道が何をもたらしたのか。その客観的な証拠は、現在のインターネットを見渡せば一目瞭然です。それは、凄まじいまでの「均質化(金太郎飴化)」という景色です。

デザインの均質化。
スマートフォンへの対応と効率性を極限まで追い求めた結果、世の中のWebサイトは、情報を四角い枠に規則正しく並べる「グリッドデザイン」へと急速に収束しました。どこを開いても、同じようなレイアウト(デザインテンプレート)、同じような写真(フリー素材)の配置が待ち受けています。

そして、コンテンツの均質化。
検索結果の上位を狙うため、企業は競って同じようなテーマで、同じ文字数、同じ見出し構造のテンプレート記事を量産しました。 はっきりと、どこかのビジネスカテゴリーに入るように自分たちを無理矢理定義し、端的に伝える「エレベータピッチ」のようなキャッチコピーを書くようになってしまったのです。(このことはWebサイトに限ったことではない気がしませんか?)
「ウチは単なる〇〇ではない」という、はっきりと白黒つけられないグレーのグラデーションや、独自の偏屈なこだわりは、「検索アルゴリズムにとってノイズになる」という理由で徹底的に漂白されました。
効率と数字を求めた結果、企業の独自の輪郭は削り取られ、どこを切っても同じ顔が現れる、無味乾燥な金太郎飴の山が築き上げられたのです。

業者に費用を払い、ダッシュボードの数字を買い、自らの個性を消し去った金太郎飴を作り続ける。 賢明な経営者たちは、この果てしない徒労に薄々おかしいと気づき始めているはずです。
それでも、検索エンジンのアルゴリズムから「存在しないもの」として消し去られる恐怖から、ハムスターのようにこの「回し車」を降りることができずにいます。

しかし、この絶望的な回し車を走り続ける日々は、まもなく強制的に終わりを告げることになります。
次回は、私たちが信じて疑わなかった「集客」というルールそのものを根底から破壊し、すべてを無効化する黒船の正体について、紐解いていきたいと思います。