#433 第1章 伝説の戦略家 Halvorsonの苦笑い―Webサイトはいつから「チラシ」になったのか

Jun 16, 2026By habitus
habitus

新コンテンツ戦略入門

第1章:伝説の戦略家 Halvorsonの苦笑い

―Webサイトはいつから「チラシ」になったのか

2009年、一冊の「赤い本」が突きつけた審判

今から約17年前、2009年のことです。アメリカのクリスティーナ・ハルヴォーソン(Christina Halvorson)という女性が率いるコンテンツ戦略会社「Brain Traffic」が、一冊の本を世に送り出しました 。
『Content Strategy for the Web』
真っ赤な表紙に白抜きの文字が躍るその本は、当時のWeb業界に文字通り激震を走らせました。 

しばらくして、日本のAmazonでこの本を偶然見つけ、驚いて、拙いながらも一気に翻訳までしてしまった一人の日本人がいました。……お察しの通り、私です。
もちろん、ちゃんと理解するために翻訳しただけで、出版されたわけではありません。未だにこの本の日本語訳は出ていません。当時の日本では売れないと判断されたのでしょうか?

なぜ、そこまで私を駆り立てたのか。それは、この本がそれまでのWeb制作のあり方を根本から否定し、「コンテンツこそが企業の資産であり、それを統治(ガバナンス)することこそがWebの目的である」と断言していたからです 。 

彼女の影響力は凄まじいものでした。Facebook(当時)のUXチームが彼女に助言を求め、専門の「コンテンツストラテジスト」を雇用し始めたのも、この本がきっかけです。彼女は、Webサイトを「デザインやコーディングの成果物」ではなく、「持続可能な経営のリソース(資源)」として再定義しました 。 

「経営のインフラ」としてのWebサイト

ここで言う「経営のインフラ」とは、どういう意味でしょうか。

これまでの20年、多くの企業にとってWebサイトは「広告」や「集客ツール」と同義でした。つまり、不特定多数の人を呼び込み、売上を上げるための「チラシ」の延長線上にあったのです。

しかし、本来のWebサイトの役割は、「企業の存在証明(実存)」にあります。 自社は何者であり、社会に対してどのような責任を負い、どのような知恵を持っているのか。それを公的な「登記」として記録し、証明する場所。
それがWebサイトの本来の姿です 。 

この「存在証明」を支えるのがコンテンツです。
単なる宣伝文句ではなく、組織が一貫性を持って発信する「知性」そのものです。
ハルヴォーソンは、この「知性」を維持するために、会社組織そのものがコンテンツを中心に動くべきだと説きました。Web担当者一人に丸投げするのではなく、経営層が「自社の言葉」を統治する。これこそが、コンテンツ戦略の核なのです 。 

CMIの隆盛と、テクノロジーへの「敬意あるハック」

一方で、ハルヴォーソンの「統治」の議論とは別に、もう一つの巨大な勢力が現れました。ジョー・ピュリッジらが率いる「Content Marketing Institute (CMI)」です。

彼らが提唱した「コンテンツマーケティング」が世界中を、そして日本を席巻したのは、それが極めて「分かりやすかった」からです。
当時の人々は、Googleという検索エンジンが、Webのテクノロジーを通じて世界中の情報を整理していく過程を、驚きと尊敬を持って眺めていました。

初期のコンテンツマーケティングに携わった人々は、決して悪意を持って「ハック(攻略)」を始めたわけではありません。むしろ、Webが高度なテクノロジーで成り立っていることを誰よりも理解していました。
Googleのアルゴリズムという「神の計算」に対し、いかにして最適解を差し出すか。それは、テクノロジーへの知的な挑戦でもありました。

しかし、この「テクノロジーへの敬意」は、日本に導入される過程で、皮肉なことに「メディアという言葉の軽さ」へと変質してしまいます。

日本における「メディア」という幻想の病理

日本のデジタルマーケティング界隈では、今でも「メディアを作る」「メディアを運営する」という言葉が、実にお手軽に使われています。

彼らの言う「メディア」とは、かつて新聞や雑誌、テレビが担っていたような、批評的視点や社会的責任を持った「媒体」のことではありません。単に「特定のキーワードでアクセスを集めるための集客装置」の言い換えに過ぎません。

集客という欲望が先行した結果、Webがテクノロジーの集積体であるという事実さえ、いつの間にか忘れ去られてしまいました。
以前、このブログ「デジマコス」でも触れましたが、現在のWeb運用は、その背後で動いている複雑なシステムの存在を見ようとせず、表面的な「数字」と「見た目」だけを整える作業に成り果てています。

この「テクノロジーの忘却」の延長線上に、中身のないコタツ記事の量産やPV(アクセス数)至上主義という、今の均質化されたWebの景色があるのです。 

セマンティック・ウェブの「不器用な復讐」

そして今、この空虚な集客ゲームを根底から終わらせようとしているのが、AIの台頭です。
ここで私たちは、かつて挫折したもう一つの歴史的構想を思い出さねばなりません。「セマンティック・ウェブ(Semantic Web)」です。

2000年代初頭、インターネットの父ティム・バーナーズ=リーは、「機械が情報の意味を理解し、自律的に処理できるウェブ」を夢見ました。RDFやOWLといった難解な仕様を用いて、世界中の情報に「これは何の意味か」をタグ付けしようとしたのです。

しかし、この構想は挫折しました。あまりに膨大で「野暮」なタグ付け作業を人間に強いたからです。チョー面倒くさい。
企業にとって、機械のために自社の情報を事細かにコード化するメリットは、当時はまだ見えませんでした。

ところが今、AI(大規模言語モデル)という怪物が現れたことで、状況は一変。AIは、セマンティック・ウェブが夢見た「意味の理解」を、推論という力技で実現してしまいました。

そして皮肉なことに、AIがその「意味の推論」を行うための最も純度の高い一次情報(Ground Truth)として求めているのが、かつてのセマンティック・ウェブの残滓とも言える「構造化データ(JSON-LD)」なのです 。 

17年後の「思想的仇討ち」

ハルヴォーソンが説いた「構造(Structure)」と「ガバナンス(統治)」 。そしてセマンティック・ウェブが夢見た「論理による定義」。 17年前、私たちが「効率と集客」のために置き去りにしてきたこれらの「野暮な実務」が、今、AI検索という新しいインフラにおける唯一の生存戦略として、私たちの元へ帰ってきました。 

私たちが提唱する「LLMO(AI検索最適化)」は、新しいマーケティング手法ではありません。Webサイトを「宣伝チラシ」から「公的な登記簿」へと作り直すための、失われた歴史のリブート(再起動)なのです。 

デジマの若者たちが語る「AIを使った集客ハック」を、私たちは静かに横目で見流しましょう。

私たちがやるべきことは、アルゴリズムの裏をかくことではありません。
自社の「知性」を整理し、AIという新しい司書に、正しく自社の「実存」を教育すること。これこそが、次の20年を支える最強の基礎工事なのです。

さて、では具体的にどうやって、御社の「すっぴん」の実存を削り出していくのか。

次回は、そのための最初のステップ、「輪郭のトリアージ」についてお話しします。