#509 オントロジーとはなにか?

Aug 18, 2026By habitus
habitus

オントロジーとは何か?
ー哲学から読み解く、デジタル空間の生存戦略

かつて西洋哲学の研究者だった私は、形而上学や存在論のやっかいな世界に没頭していた時期があります。 
「私は何者なのか」「事物はいかにしてこの世界に存在しているのか」を問う、一般的なイメージと同様、くらーい、高度に抽象的な学問です。

ですが、当の本人はちっとも暗くなってはいませんでした。むしろ今でもたまに哲学書を開くと、いくらか胸が踊ったりしてしまいます。
形而上学とは、ロジックだけでどこまで世界を詰め切れるかという知的なゲーム。言葉によって存在の輪郭を削り出す営みは、まさにニーチェの言うところの「悦ばしき知識」でした。

そんな哲学科の界隈で「存在論」を意味していた「オントロジー(Ontology)」という言葉を、近年、WebやAIの文脈で頻繁に目にするようになっています。
いや、ITの世界では昔から使われていたようです。 
かつて「セマンティックWeb」という概念が叫ばれた頃にも、たしかにオントロジーは語られていました。しかし当時の私には「デジタルの存在論? とってつけたような大層な言葉選びだなぁ」と半ばバカにしつつ、一蹴していたものです。

それが今、AIやWebシステムの最前線で、驚くほど切実で不可避な技術用語として語られています。
一見すると無機質なITテクノロジーの世界で、なぜ今、あらためて「存在論(オントロジー)」が求められているのでしょうか。今回は少し難しいかもしれませんが、オントロジーをめぐって哲学の話と絡めて考えてみたいと思います。

なぜコンピューター科学者は「哲学用語」を必要としたのか

結論から言えば、エンジニアたちがコンピューターの中に現実世界(データ)を構築しようとした時、かつて哲学者たちが2000年かけて悩んできた壁と、全く同じ壁にぶち当たったからです。

コンピューター(特にデータベースやAI)に現実世界を認識させるためには、「この世界には何が存在し、それらはどういう関係性を持っているのか」を、機械がわかるように分類・定義してやらなければなりません。
どうすればいいのか…? 

その前に、ここで一つ大きな誤解を解いておく必要があります。もっとも、マニアックな哲学の話ですから、誤解もなにもないかもしれませんが、明確にしておくべきことがあります。

現代のAIエンジニアたちが語る「オントロジー」は、ハイデガーが追究したような「存在」そのもの、つまり「存在者の存在(Sein)」を問う根源的で深遠な形而上学ではありません(これはこれで相当面白いのですけどね)。
自らの存在に苦悩するAIなどどこにも存在しないからです。(苦悩しているかもしれない…と考えるのはちょっとSF過ぎますよね)。

AIの世界で扱われているのは、ハイデガー的形而上学ではなく、アリストテレスからカント、そしてフッサールが説いた「領域的存在論(Regional Ontology)」、すなわち「カテゴリー論」です。 
ギリシア語の「on(存在者 / onta)」に由来するこのアプローチは、「存在そのもの」を問うのではなく、「この世界にはどういう存在者(entity)があり、それらはどんな属性を持ち、互いにどういう関係性で結ばれているか」という世界の分節化(分類と関係性の定義)を指します。

  • 「人間(Person)」というエンティティ(実体)がいる。
  •  その「人間」は、「会社(Organization)」に所属するという関係性を持つ。
  • 「会社」は「場所(Location)」という概念に紐づいている。

これらは、哲学の「存在論(オントロジー)」や「カテゴリー論」がやってきた世界の分節化作業そのものだったわけです。
 フレーゲやカルナップといった英米の分析哲学者が「世界をいかに論理記号と命題で記述するか」と格闘した営みが、時を経て、セマンティックWebやSchema.org(JSON-LD)といった機械可読コードとして、現代のITインフラに実装されたのです。

「人間向けに書いていればAIも察してくれる」というロマン主義の限界

さて、一方で現実世界に目を向けて、ここ十数年のWebの歩みを振り返ると、効率と数字を追い求めた結果、Web本来の構造が置き去りにされてしまった歴史に気づかされます。

Webサイトとは本来、HTMLの階層構造やデータベースの論理構造といった、厳密な技術的アーキテクチャの上に成り立っています。
しかし、いつしかWebの主導権は「テクノロジーの裏側」を配慮しないマーケターたちに移っていきました。 彼らはWebの裏側にある論理構造を無視し、画面の表層にあるキーワードをいじるだけで検索エンジンをコントロールできると錯覚しました。

そして表層のテキスト調整や「説明的すぎるSEO記事」を量産することで、一次的に数字(成果)を出してしまったのです。これが、Webから固有の体温や表現が失われ、均質化された文章で溢れかえるようになった始まりでした。
そして今、AI検索という全く新しいインフラが台頭してきてもなお、業界は同じ過ちを繰り返そうとしています。

「特別な技術は不要です。人間向けに良質な記事をたくさん書いておけば、賢いAIは文脈を読んで勝手に理解してくれます」

著名なSEO識者からも聞こえてくるこの言葉を、私は「牧歌的ロマン主義」と呼んでいます。
AIを「空気を読んで行間を察してくれる優秀な人間」だと信じ込み、人間向けの生テキストさえ与え続ければ、いつかAIが自社の素晴らしさを悟ってくれると祈っているのです。 しかし、実際のソフトウェアエンジニアリングの最前線では、このロマン主義は無残に打ち砕かれています。

先日、ある先進的な企業でAIを社内システムに組み込んだエンジニアのレポートを読む機会がありました。
社内の膨大なドキュメントを読み込ませてAIに回答させる仕組み、いわゆる「RAG(検索拡張生成)」と呼ばれる技術です。 彼らは最初、社内のチャットログや議事録といった「生のドキュメント」を大量にAIに読ませました。情報さえ与えれば、AIが行間を読んで賢く回答してくれると期待したのです。

結果はどうだったでしょうか。 AIは一般的な知識には博識なものの、社内固有のルールやプロジェクトの固有名詞になると途端に迷走し、もっともらしい顔で事実とは異なる「嘘(ハルシネーション)」をつき始めました。

どれだけ大量の「人間向けの文章」を与えても、機械は行間や文脈を察しません。
確率的に言葉を紡ぐ大規模言語モデル(LLM)は、意味の候補を推測することはできても、「何が正解で、何が自社の公式な定義なのか」という事実関係を自ら決定することはできないのです。

そこでエンジニアたちがAIに渡したのが、まさに「オントロジー(カテゴリー論に基づくデータ構造)」でした。
「AというシステムはB部署が管理しており、Cという過去のシステムとは明確に異なる」といった事物同士の関係性と定義を、コンピュータが誤解なく処理できるデータ形式(JSON-LD等)で記述した「概念の地図」や「辞書」を裏側に装填したのです。

この「絶対に揺るがない事実の関係性(オントロジー)」をベースとして持たせたことで初めて、AIは社内のドキュメントを正しく理解し、正確なアシスタントとして機能し始めたのだそうです。

現象学的な「肉」と、分析哲学的な「コード」を結ぶ二重構造

このエンジニアたちが直面した課題と解決策は、私たちが自社のWebサイトを構築する際にも全く同じことが言えます。

Web上で自社の魅力を伝えようとする時、多くの企業はSEO向けの「誰にでも一言でわかる単純な説明文」に自らを押し込めようとします。
まるで操作マニュアルのような平坦な説明文(Webライティング)は、今のWebにおける原稿づくりの癖のように定着してしまっています。
なんの疑問も持たずに書いてしまうものの、一体誰に向けて伝えている言葉なのか、わからなくなってはいないでしょうか。

わかりやすい(と思われている)言葉で既存のカテゴリに括られた瞬間、どこにでもある普通の会社へと平坦化されてしまいます。本当の自社の輪郭は、「ウチは単なる〇〇ではない」と、既存の分類をひとつひとつ丁寧に否定していく作業の先にしか存在しません。この「Notの連鎖」を重ねることで、既存の枠組みの隙間に存在する、一言では括れない複雑な色合いが見えてきます。

私たちはこれを「グレーのグラデーション」と呼んでいます。白か黒かで割り切れない、その企業ならではの微妙なニュアンスや実存こそが、他社との決定的な違いとなるのです。 しかし、ここでひとつのパラドックスが生じます。

20世紀フランスの哲学者であるメルロ=ポンティが説いたような、人間の生きられた経験、知覚、身体性、創業のドラマといった「生の知覚(現象学的な肉)」は、表層のテキストにどれだけ熱意を込めて書いても、確率でデータを処理するAIには正しく伝わりません。
都合よく切り貼りされ、他社の一般論と混同されてしまうのがオチです。 かといって、Webサイト全体を無味乾燥な論理記号(分析哲学的なコード)だけで埋め尽くしてしまえば、今度はそれを読む生身の人間の心が離れてしまいます。

だからこそ、Webサイトは「二重構造(Dual-Layer Architecture)」でなければならないのです。

  • 表側(人間向け): 現象学的な世界。企業の体温、知覚、ストーリー、人間の心を揺さぶる言葉とデザイン(情緒)を、不自然なSEOキーワードに汚されることなく自由に表現する。
  • 裏側(AI向け): 分析哲学・カテゴリー論の世界。人間向けの表現の裏側に、「私たちは何者であり、何をやらないのか(Fact & Not)」という関係性の定義を、Schema.org準拠の冷徹なデータ構造(JSON-LD)として直接記述する。

表側の「人間のためのクリエイティブ」と、裏側の「機械のための論理構造」に一ミリの矛盾もなく整合性を持たせること。
人間という知覚主体には「詩(情緒)」を届け、AIという計算主体には「コード(論理)」を渡す。これこそが、全く異なるふたつの認識主体が共存する現代のWeb空間における、唯一の正統な情報アーキテクチャです。

集客ハックを捨て、自らの「実存」を定義せよ

デジタル空間に自社がどう存在しているか(オントロジー)を決めるのは、AIの気まぐれな推測でも、マーケターの「引用されますように」という祈りでもありません。人間が意志を持って定義し、構造化する責任です。

「これをやればAIに引用されてPVが増える」といった小手先のLLMOハックに飛びつくのは、過去のSEOハックと同じ愚を犯すことです。引用数を追いかける指標ゲームに興じたところで、AIの検証アルゴリズムによって不誠実なノイズと見破られれば、ドメインの信頼そのものを失うリスクを負うだけでしょう。

これからのWebサイトの役割は、単にPVを集めて客を引く「集客チラシ」の時代を完全に終えようとしています。 今求められているのは、自社の正しい実存(Fact & Not)を論理的に証明し、AIの誤読やハルシネーションから自社のブランドと評判を守る「デジタル登記(情報ガバナンス)」の視点です。

表層の言葉選びやバズに終始するマーケティングから一歩引き、サイトの裏側の構造までを見据えた「コンテンツ・ストラテジー」を取り戻すこと。自らの実存を冷徹にコードとして刻む者だけが、カオスと化すAI空間において、揺るぎない信用と存在感を保ち続けることができるのです。